(投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

2024年石清水八幡宮の「鬼やらい神事」

  • たかた
  • 2024/02/01 (Thu) 14:04:32
 石清水八幡宮では、節分(2月3日)直前の日曜日に節分行事「鬼やらい神事」が行われ、今年は1月28日午後1時からでした。昨年までは2回行われていましたが今年は1回のみでしたので、豆まきが行われる本殿前の広場は開始30分前には大勢の参拝者で溢れていました。
 本社前での神事は古式に則り、四方(東北・東南・西南・西北)と今年の恵方(東北東)を、邪気を祓うとされる桃の枝で飾り付けられた桃弓で射抜き、次に同じく桃の枝で作られた桃剣で「鬼やろう」の掛け声とともに四方と恵方を打ちました。
 それから赤鬼と青鬼へ「鬼やらう」と掛け声ながら「福豆」を撒き退散させました。最後に参拝者に向かってビニール袋に入れた福豆を撒きました。私は運よく福豆を5袋ゲットできた。
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流れ橋(上津屋橋)の復旧はまだです

  • たかた
  • 2024/01/09 (Tue) 15:15:29
 昨年(2023年8月15日)の台風による増水で流出した「流れ橋」の復旧状況を確認に1月6日出向いたが、まだ、本格的な復旧工事は未着手でした。
 流れ橋は府道で現場の京都府山城北土木事務所の「橋梁修繕工事」の看板には工事期間は令和6年7月31日までとあり、流出から5ヶ月近く経過しているのに本格的に修繕工事を開始している状況でないので、同土木事務所の担当に確認すると ”下草を刈る等の準備中で6月中旬ごろには工事完了予定” との説明でした。現在の新流れ橋は2016年3月に①橋面を75㎝嵩上げ②中央の3本の橋脚をコンクリート化③橋脚の幅拡大等により、橋面はしっかりとワイヤーロープでコンクリート製の橋脚に締結されているので今回も橋面流失はないようです。
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参考に「新流れ橋の会報99号記事(2020年9月)」を確認願います。
https://yrekitan.exblog.jp/31374970/

八幡森「地蔵尊」の開眼式

  • たかた
  • 2023/11/19 (Sun) 09:02:10
 八幡森の地蔵尊(オボトケさん)が今年2月に交通事故で甚大な被害にあって、修復不能になり、新たに同じ石仏仕様のお地蔵尊が森町町内会により製作復元されました。令和5年10月18日の13時から ”森『地蔵尊』開眼式(かいげんしき)が浄土宗正福寺の秦住職により執り行われ、40名近い方が参列された。
(挿入写真はクリックし拡大して見て下さい)
 地蔵尊は地蔵菩薩でなく阿弥陀如来立像で高さ約150㎝あり、頭には如来特有の肉髻(にっけい)があり、両手は來迎印(上品下生)です。復元製作された石仏の石材は香川県の庵治石(あじいし)である。

 なお、被害を受かられた地蔵尊は、正福寺の秦住職により閉眼式(へいげんしき)をされてから三重県熊野市「経王寺」に永代供養されていると伺いました。この地蔵尊は江戸時代の嘉永元年(1848)に纏められた男山考古録の「石仏」の項に(オボトケ)と紹介されており、明治維新の廃仏毀釈やその後の地蔵取徐令等から地元の人が、お守りした由緒ある石仏でした。
 詳細は、八幡の歴史を探究する会会報第54号掲載記事「八幡森の石仏(オボトケさん)と地蔵盆」を参照。
https://yrekitan.exblog.jp/23049265/

石清水祭ー放生会

  • たかた
  • 2023/09/16 (Sat) 16:45:45
 三大勅祭の「石清水祭」が9月15日に行われた。3年間は新型コロナウィルスにより本殿のみでしたので、放生行事は4年ぶりでした。
 八幡大神様を乗せた三基の御鳳輦は山上の御本殿から山麓の頓宮に下山され、頓宮では各儀式が行われた。私は8時前から参列したが、8時開始予定の放生川での放生行事は8時半過ぎから行われた。
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※)「石清水祭」は清和天皇の貞観5(863)年、旧暦の8月15日に「石清水放生会」と称し、八幡大神様が男山の裾を流れる放生川のほとりにお臨みになって生ける魚鳥を放ち「生きとし生けるもの」の平安と幸福を願う祭儀として始められました。そしてこの石清水祭が勅祭として斎行されたのは、天暦2(948)年の勅使御差遣に始まるとされています。(石清水八幡宮HPより)

2023年 やわた太鼓まつり

  • たかた
  • 2023/07/17 (Mon) 10:43:09
 コロナ禍で中止していた八幡の夏の風物詩である高良神社(石清水八幡宮の摂社)の「やわた太鼓まつり」が今年は4年ぶりに開催されました。
 前日の7月15日(土)は各地区で「足固め」の巡行をして、本番の16日(日)宮入に石清水八幡宮頓宮広場に市内4地区(1・2・3・6区)の大きな屋形神輿4基と子供みこし2基の計6基が勢揃いでした。18時半からの宮入開始式後に子供御輿から順番に高良神社前でお祓いをうけてから太鼓の音に合わせて「ヨッサー、ヨッサー」のかけ声勇ましく境内を練り歩く祭のクライマックスは迫力があり、夜遅くまで続き大勢の見物者は各御輿が参道を威勢良く往復する宮入りを堪能しました。
 (挿入写真は小さいので、写真をクリックし拡大して見て下さい)

三宅安兵衛の圓福寺の碑のその後

  • 森本
  • E-mail
  • 2023/06/21 (Wed) 12:12:54
3回に分けて八幡市内の表題の碑を歩いてみたんですが圓福寺の碑が見つからず、情報ではトラックがぶつかって破損して、ふるさと学習館にあるのではとの事ですが学習館で聞いても分からないようでした
今、どこにあるかご存じですか

Re: 三宅安兵衛の圓福寺の碑の行方

  • たかた
  • 2023/06/21 (Wed) 16:33:48
森本様

 お問合せの三宅安兵衛の円福寺の碑は、2013年に事故で破損して「八幡市ふるさと学習館」に回収されています。私は回収道標の写真も撮影しています。
 一度ご連絡下さい。私(事務局)のメールアドレスと電話番号は、HP掲載のの集いの案内パンフレットや出版活動のコーナー等に記載しています。

三宅碑「古寺旧跡」の行方について

  • たかた
  • 2023/06/07 (Wed) 20:48:53
山下様

 お問合せの三宅碑ですが、残念ながら行方不明です。
何回も現地を訪れて探した会員もわからなかったとのことです。また、八幡市文化財課が保管している石碑の中のも見当たりませんでした。
「八幡の歴史を探究する会」は、江戸時代からの道標や石碑の調査をすると共に、後世に伝える保護活動もしています。


Re: 三宅碑「古寺旧跡」の行方について

  • 山下
  • 2023/06/08 (Thu) 15:46:06
御回答ありがとうございます。
以前は確かにあったはずなのですが、工事の際に撤去されてしまったのですね。
歴史的にも貴重なものを簡単に無くしてしまうなんて大変残念です。後世に伝えていくことが大切だと実感しました。
今後とも「八幡の歴史を探究する会」の更なるご活躍をお祈りいたします。

古寺の旧蹟の碑を探しています。

  • 山下
  • 2023/06/07 (Wed) 13:39:06
三宅碑に惹かれ、いろいろと探し回っています。
美濃山古寺に「古寺の旧蹟の碑」はまだ現地に存在しているのでしょうか。
何度か探してみたのですが、高速道路工事のため思うように探せませんでした。どなたかご存知であれば教えていただけないでしょうか。よろしくお願いします。

徳川家康の八幡への領知朱印状は「361通」の実数が判明、ええ?

  • たかた
  • 2023/05/17 (Wed) 21:53:41
 2023年5月13日の京都新聞朝刊記事に「家康が石清水八幡宮や社寺などに出した領地保障の朱印状が計361通だった。実数が判明するのは初めて・・・」とありました。
 家康の朱印状361通は、八幡の歴史を探究する会の以下の会報記事に谷村勉氏が既に3回報告されており”実数が判明するのは初めて”は、間違いと言えます。
 なお、谷村勉氏は、享保九年(1724)作成の『石清水尋源鈔』を底本資料としている。

朱印状361通の掲載記事 ・・・各記事はURLをクリックして閲覧下さい。
1.会報第72号(2016年3月発行) 
*八幡の近世を開く志水家・正法寺* https://yrekitan.exblog.jp/25100010/
 慶長5年(1600)5月、徳川家康は石清水八幡宮を中心とする八幡に361通の「領知朱印状」を発給し、徳川政権構想に取込みました。
2.会報第101号(2021年1月発行)
*「お亀の方」と「内府違いの条々」* https://yrekitan.exblog.jp/32113754/
 世に名高い「関ケ原合戦」は慶長五年九月十五日に行われ東軍が勝利した。
合戦前の慶長五年五月廿五日、徳川家康から八幡に領知朱印状361通が発給された。
これだけの大量の朱印状が発給された地域は他に類例を見ない。
3.会報第102号(2021年2月発行)
*近世八幡の歴史に興味は尽きない*  https://yrekitan.exblog.jp/32200405/
 ・2.お亀の方(相応院)
 慶長5年(1600)5月、徳川家康は石清水八幡宮を中心とする八幡に361通の「領知朱印状」を発給し、徳川政権構想に取込みました。

歴史の宝庫「石清水八幡宮文書」を未来へ(クラウドファンデング)

  • たかた
  • 2023/04/25 (Tue) 17:41:07
 石清水八幡宮文書デジタルアーカイブ化の第1弾として「石清水と天下人」のクラウドファンデング”勧進中です。リーフレットを確認ください。支援募集期間は4/10~5/31日です。第1目標金額は15,000,000円で現在の支援総額は1,268,000円です。
 今回のアーカイブ化プロジェクト第1弾は「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」の三英傑に係る古文書類のアーカイブ化を目指すようです。
 支援方法は①インターネットで支援、②申込書を提出して支援、③指定口座に直接募金する 等です。詳しくはリーフレットで確認ください。

★挿入のリーフレット(表面)はクリックして拡大表示で確認ください。

男山散策路の「こもれびルート」の廃止

  • たかた
  • 2023/04/12 (Wed) 09:14:03
 男山散策路の3ルートのうち「こもれびルート」が令和5年3月31日廃止になり、皆様から不便になると復活の要望が寄せられています。
 八幡市ホームページには 【男山散策路の一つであります「こもれびルート」(神應寺から男山レクリエーションセンター)は、安全性の確保が困難となったことから令和5年3月31日をもって廃止いたします。】 と掲載されています。
 全長1.3㎞の「こもれびルート」は石清水八幡宮駅から直接に男山山頂の鳩ヶ峰に行ける唯一のコースでした。
 早速、4月2日に神應寺にルートの確認でかけました。神應寺山門の手前の”男山散策路こもれびルート”の案内支柱には(重要なお知らせ)としてルート廃止の張り紙がありました。
 また神應寺の手前の「こもれびルート」入口には樹脂製の鎖が張られて神應寺が【お知らせ】の看板を設置され :八幡市の都合により廃止となりました※参拝・散策される方は、自己責任で通行して下さい: と書かれています。こもれびルートから神應寺墓地に参拝するには鎖を外して通ることになります。
  (写真はクリックして拡大表示で確認ください)

展示会 ”発掘調査が語る近世「京」のすがた”

  • たかた
  • 2023/03/05 (Sun) 13:25:36
 京都府立図書館で文化庁京都移転に伴い京都府埋蔵文化財調査研究センターが発掘調査した出土遺物の茶器や碗などが展示されている。(展示会は3月5日~3月15日)特に出土品の中で19世紀後半の「光格菊御紋付染付碗」は119代光格天皇が使用し最後に町人の手に渡った碗のようである。
 3月8日の八幡の歴史を探究する会の第41回連続学習会は(光格天皇)がテーマであり興味深く展示物を確認した。
3月4日には発掘調査を担当された同センターの加藤雄太氏の講演会があり、講演後には展示品の説明をされました。
(※写真はクリックして拡大して確認してください)

◆この掲示板を開設して8年が経過しました

  • サイト管理人
  • Site
  • 2022/12/01 (Thu) 14:06:34
この掲示板を開設して8年が経過、お寄せ頂いた記事数は123個、アクセスも23804件を数え、この2年間は1日10件のペースとなっています。
これからも幅広い方々のお気軽なご参加をお待ちしております。

 《この掲示板の特徴》
▼500KBまでの写真が簡単に掲載できます。
▼外部へのリンクも文中にhttp://~を直接記入できます。
▼御利用は容易です。以下のリンクの取説をご参照ください。
     http://yrekitan.exblog.jp/23244309
▼なお上端メニュー“Home”のクリックで歴探サイトに戻ります。

流れ橋の橋脚(控木・うつぎ)の焼損

  • たかた
  • 2022/10/25 (Tue) 21:53:50
 「流れ橋橋脚焼ける」との2022年10月24日の京都新聞夕刊記事に驚いた。燃えたのは23日の午後6時50分ごろで、15日にも橋脚の一部が焼損したようです。八幡警察は放火として捜査していると伺った。
 ただ、現在の流れ橋(上津屋橋)は、2016年に復旧工事で橋脚部はコンクリート杭に変更したので、燃えるのは傾くのを防ぐために設けている木製の控木(うつぎ)なので、橋を渡るには当面は支障がないはずと思い現場確認に出向いた。やはり多くの観光客は気が付かないようで、ニュースで焼損の事を知った方は上から覗いていた。
 川原に降りて確認すると左岸(八幡市側)から10番目と11番目の橋脚の上流側控木(うつぎ)が焼損していた。特に10番目の橋脚の控木は、いちばん上まで燃えている。
  (写真参照:クリックして拡大表示で見て下さい)
 本当に信じられない犯罪行為で、犯人が捕まり再発しないことを願っている。今は上の人が通る木製の橋桁でなく良かったとも思う。戦争以外で橋を焼くことは有り得ないことです。

※現在の新・流れ橋については、会報99号掲載記事https://yrekitan.exblog.jp/31374970/ を参照。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」スペシャルフォーラムin八幡

  • たかた
  • 2022/10/16 (Sun) 23:08:12
 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のフォーラムがNHK京都放送局と八幡市が共催で、2022年10月15日に八幡市文化センターで開催され観覧した。挿入したフォーラムパンフレットと当日の会場の写真(会場後方から撮影で鮮明度不足ですが)はクリックし拡大表示して確認ください。
 第1部「石清水八幡宮 御神楽の歴史」は、石清水八幡宮の田中恆清宮司と田中朋清権宮司、八幡雅楽会が出演され、御神楽の歴史と楽人が奏でる神楽笛や和琴(わごん)篳篥(ひちりき)が紹介された。
 第2部「源氏の心にふるさと・石清水八幡宮@八幡市で語る『鎌倉殿』」では、ドラマの時代考証と制作総括の各担当の方、それに田中朋清権宮司が出演された。ドラマの服装の時代考証やドラマ撮影の苦労話等が紹介された。また、田中権宮司からは、頼朝は石清水八幡宮には5回参拝され、頓宮境内の「頼朝公お手植えの松」が残されている紹介があった。(現在の松は3代目)

宇治歴史公園

  • たかた
  • 2022/06/14 (Tue) 08:44:29
 宇治橋下流の宇治川右岸に平成19年(2007)に太閤堤が発見され、平成21年(2009)国史跡に指定されて、発掘調査は平成23年~30年(2018)まで長年実施し現地説明会も9回開催された。
 宇治市は発掘調査完了後にこの地域を令和3年(2021)に「お茶と宇治のまち歴史公園」としてオープンした。私は太閤堤の発掘現地説明会には何回も参加し、最後の2018年3月の現地説明会は新掲示板に報告済であるが、歴史公園がオープンしてから初めて先日歴史公園を訪問した、以下に概要を報告する。
 (挿入図版はクリックし拡大表示して確認ください。)
 公園の北エリアは【史跡ゾーン】で、太閤秀吉が築堤した太閤堤の一部を再現している。太閤堤の展望デッキもあるが、宇治川の岸辺から離れており発掘調査説明会で確認できた広大な石出し護岸、石積み、杭出し等は、現場の説明板で確認することになる。また、史跡ゾーンの右側(陸地側)は、宮内庁管理の応神天皇の皇子と言い伝えの菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の墓(古墳)である。
 南エリアは【交流ゾーン】で「お茶の宇治の交流館 茶づな」がオープンしており、ミュージアム、宇治茶体験、講座室、会議室がる。交流館の周囲は、広大な庭園・エントランス広場、茶園である。

八幡石田神社の算額

  • たかた
  • E-mail
  • 2022/03/10 (Thu) 11:33:37
佐藤正人様

 石田神社の算額は神社拝殿の外から複製品を覗き見ることは出来ますが、拝殿に入ることは出来ません。
拝殿に入るには神社を管理されている方の案内が必要です。
 以前に弊会が見学した時も総代の方に事前連絡して案内していただきました。
 https://yrekitan.exblog.jp/22160065/

 八幡の歴史を探究する会 事務局 高田昌史

淀屋と算額の謎

  • 佐藤正人
  • E-mail
  • 2022/03/10 (Thu) 10:17:09
八幡石田神社の算額は見学できるのでしょうか

「心に残る!江戸時代の八幡道標」の展示会を開催します

  • たかた
  • 2022/02/02 (Wed) 22:21:46
 「八幡の歴史を探究する会」は、八幡市観光協会主催の(京のやわた企画展)【心に残る!江戸時代の八幡道標】の展示会を下記予定で開催します。

 1.日 時 : 令和4年3月4日(金)~6日(日)
        10:00 ~ 16:00 (入場無料)
 2.場 所 : 駅前ギャラリー
(京阪電車〈石清水八幡宮駅〉改札前)

会場では、江戸時代の八幡道標分布マップ及び各地の代表的な八幡道標写真等の展示(説明)をします。是非ご来場ください。

本会では2017年に冊子「石清水八まん宮道」に誘う道標群
             -江戸時代の八幡道標-
を刊行して76基の八幡道標を紹介しました。

その後、新しく各地で八幡道標が確認され冊子は都度増補版を刊行しています。現在、新たに確認した道標を掲載した増補版第4刷の刊行準備中です。
会場では新しい道標冊子(増補版第4刷)の先行販売もします。
 冊子には京都市北区から南は松原市までの計100基の「江戸時代の八幡道標」を掲載しています。
 ★(挿入の展示会リーフレットは、クリックし拡大表示で確認ください。) 

宇治市蔵林寺で新たに「江戸時代の八幡道標」を確認しました

  • たかた
  • 2022/01/17 (Mon) 14:10:51
 この度、京都歴史研究會の吉平裕美様から「黄檗山萬福寺近くの蔵林寺本堂横の墓地入口に、江戸時代の八幡道標を確認しました」とのご連絡をいただき調査に出向きました。
 蔵林寺は黄檗山萬福寺南の浄土宗の寺院で、JR黄檗駅から徒歩で数分の場所でした。蔵林寺御住職の奥様にご挨拶して、墓地入口に保存されている「八幡道標」の確認と写真撮影の許可を得てから調査をしました。
道標は本堂横の墓地入口の地蔵堂手前の左後方に立掛けられて保存されています。道標の石碑は粗削りの竜山石で、碑文は正面のみで “左 伏見京ばし やわたふね乃りば” とありました。                      
 【八幡への船乗り場「伏見の京橋」への道案内道標】
この石碑は設置されていた旧道から開発等により、この場所に移動されて保存されたようです。石碑の下部及び上部が欠けているので元はもっと大きかったようです(現在の保存状態は、高さ58㎝、幅16㎝、奥行11cm)。(挿入写真はクリックし拡大表示で確認ください。)

★「八幡の歴史を探究する会」では、2017年に冊子「石清水八まん宮道」に誘う道標群《江戸時代の八幡道標》を刊行し、新たな八幡道標が確認されると追加掲載して新版を刊行していますが、今回の「八幡道標」の確認により、2022年3月に新版(増補版第4刷)を刊行する予定です。この道標は掲載100基目の記念すべき道標になります。

追記
 蔵林寺の参道入口に地蔵堂の道標は6面の珍しいお地蔵さんで、毎年方向を変えて祀っていると伺いました。また、墓地入口の地蔵堂のお地蔵さんは、地蔵盆の時に貸し出しをされているようです。